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カーロス・グレイシー Jr.

私は、グレイシーバッハ アカデミー(ブラジル・リオデジャネイロ)の創立者、カーロス・グレイシー Jr. です。皆様に、このアカデミーがどのように創立され、成長を遂げてきたのかをお話したいと思います。グレイシーバッハの歴史は、私の人生そのものといっても過言ではありません。そして、グレイシーバッハアカデミーで起こった様々な出来事がすべて、私の過去、現在、未来に繋がっています。

父、カーロス・グレイシーに始まり、多くのアスリートやファイターを輩出したわがファミリーの最大の目標は、柔術というスポーツの普及、そして人生を豊かにする柔術の素晴らしさを広める事でした。父はナチュラリスト(自然派)であり、気高い人間で、自身が柔術から受けた利益を、より多くの人に広めたいと常に願っていました。このような環境の中で育てられた私自身は、柔術を学ぶという事は、実は自己を磨く為に努力する道だという事を学びました。

父は叔父のエリオ・グレイシーを連れて、リオデジャネイロの市街地にあるアカデミーで教えていました。私はそのアカデミーで柔術を習い始め、インストラクターとして修行し、最終的にプロフェッサーとなりました。この間、同じくプロフェッサーとして活躍した兄のホーウスと従兄弟のホリオンと共にアカデミーを支えました。

その後、ホリオンはアメリカへ、ホーウスは別の兄のカーウソン・グレイシーと共にコパカバーナでアカデミーを開きました。ですが、私は従兄弟のヒクソンと共に父のアカデミーの運営を任される事となりました。2年間勤めましたが、その間、大学で栄養学も学ぶ為、コパカバーナで住む事となり、そのうちに、コパカバーナでアカデミーを開いたホーウスと共に働く事を決めました。ですが、その頃、ホーウスとカーウソンはアカデミーを別々に運営する事を決めました。同じ建物の中で2人のプロフェッサーが別々の時間に生徒を教える方法を取りました。

ホーウスと7年間一緒に働きましたが、兄は不幸にもハンググライダーの事故で亡くなりました。門下生全員が兄の妻の元で集まる機会が与えられ、その場で私が責任を持って、兄が開拓した道を更に歩む責任を与えられました。その後4年間コパカバーナで続けた後に、バッハ・ダ・チジューカに移転する事になりました。ここが私たちが「バッハのグレイシー」、そしてまたその後に「グレイシーバッハ」として世に知られる事になったルーツなのです。

グレイシーバッハ アカデミーの最初の歩みは約30年前、小さい一軒の家から始まりました。20人の生徒から始まり、1年後には生徒は200人に増えました。その後アカデミーは今も所在する大規模な場所へと移転しました。創立以来、着々と有能なインストラクターを輩出し、世界とブラジルの国際試合で結果を出してきました。現在、グレイシーバッハは世界最大の柔術チームへと成長したのです。

私は常に、自分のこれまでに成し遂げた仕事を誇りに感じています。それは、私のアカデミーでは、有能なスポーツ選手やプロフェッサーを育てる事だけに焦点をあてるのではなく、それぞれの個性を創り磨く手助けするという事だと思います。

父がいつも私に言った言葉 :

「 . . . キモノを着て、私と私の家族の皆が教える柔術の力を信じる者がいる事が、私の人生最大の喜びである」
(カーロス・グレイシー 1902年―1994年)


下段左から2番目 20代のカーロス・グレイシーJr. / 上段中央 創始者カーロス&エリオ

 

ブラジリアン柔術の歴史